言の羽(ことのは)


「……!」
 腕に感じた痛みに、美聖は思わず眉を寄せる。
 痛みの発生源にと目線を移せば、数センチほどの切り傷。
 先程、太古の悪霊を倒す為に、カイルと共闘した時に受けた傷なのは明確だ。
「おい、どうした?」
 そんな美聖の様子を見て、怪訝そうにカイルが声を掛けてくる。
「あー、いや……何でもない」
 別に大した怪我では無いし、どうせすぐに治るだろうという事もあり、美聖はその怪我の事はカイルには告げなかった。

 ……今回のこの太古の悪霊とかと戦う羽目になったのは、そもそも原因を突き詰めればカイルが元凶だ。
 そんな危ないものを封じ込めた水晶玉を、カッとした勢いで叩き割ったのだから。
 だが、それに助太刀したのは自分の勝手。
 カイルだって、一人で戦おうとしていたのだから。
 だけど……何となく、手を貸さずにはいられなかった。
 敵が一筋縄ではいかなさそうだと感じた事も理由の一つだが。
 だけど、それだけではない。
 ……分かっているはずなのだ、本当の理由は。
 心の中では、それがしっかりと形作られている。
 でも、それをどう表現したらいいのか、自分自身で分かっていない。
「……と、それよりも、その水晶玉の破片、ちゃんと片付けていかないとな」
 封じられていたものを倒した今、それはただのガラスの欠片。
 そんなゴミを、河原に放置する事など出来ない。
 そう思い、美聖はその砕けたガラスの破片を拾い始めた。
「…………」
 美聖の様子に、微かに苛立たしげに息をつきながらも、カイルは美聖と同じ様に、自らが砕いた水晶玉の破片を拾い始める。
「あ、手伝ってくれるんだ?」
 そのまま帰ってしまうかと思っただけに、ちょっとだけ美聖もカイルの行動に驚いていた。
「やかましい! 例え割れたって言っても、元々は大そうな力があった水晶玉だからな。その欠片でも使われて何かされてはかなわんから、オレが回収するだけだ!」
「そんな事する訳ないだろうが……全く」
 微かに声に呆れた感じが混ざりつつも、あくまで意地っ張りのカイルに内心では笑ってしまう。
 そう、この世界に来て今までの付き合いで分かっていた。
 カイルは確かに、大魔王復活とか物騒な事を言っているが、心底悪人でしないという事に。
 ただ……魔族してのプライドを貫き通したいだけなのだろう。
 自分が元々いた世界と違って、この世界には色々な種族が存在している。
 いや、自分のいた世界でも、国ごとに肌の色が違ったり、そういう違いはあるのだが、それとはまた違う感じの。
 多分、各種族とも色々と考え方も生き方も違い、それぞれがそれぞれの種族の特性を理解しているものだ。
 まあ、多少の偏見がある感じがするのも否めないのだけど。
 美聖と共に旅をしている楊雲も『影の民』として、普通の人たちから忌み嫌われていたり、フィリーも最初にカイルと会った時に開口一番、魔族だから悪者と言い放ったくらいだ。
 確かにカイルは魔族で悪者だけど。
 だけど……卑怯ではないんだよなあ。
 心の中で呟き、美聖は溜息を零す。
 だからだろう、嫌いになれないのは。
 しかし、そこまで考えが至った時に、自分が先程言った言葉を反省する事になる。
 カイルの魔族としてのプライドは、多分カイルという存在を形作る一番の基本のはずだ。
 さっきの仲間との通信を聞いていた時には、あまりにもそのやり取りの間抜けさに笑ってしまったのだが。
 あれは……カイルの魔族としてのプライドが起こさせた怒りなのだろう。
 大魔王というものは、多分カイルにとっては魔族としての『象徴』に他ならない筈だ。
 だから、それを否定する仲間に、あそこまで憤りを感じたに違いない。
 そして、自分は……。
 そんなカイルの怒りの本質を理解する事が出来ずに、すぐ怒るから仲間に見捨てられるんだ……などと偉そうに言ってしまった。
 自分にそんな資格は無いというのに。
 魔族として自分をしっかりと作っているカイル。
 だけど……もしかしたら一人では寂しいのかもしれない。
 何だかんだ言いつつも、仲間たちと旅をしているのも、そう思う一つだった。
 ……ああ、だからか。
 先程、どうしてカイルに助太刀したのか、心の中では分かっていても、言葉に出来なかった事。
 それが、ぽんと自然に言葉として生じてきた。
 自分も、そんなカイルの気持ちが……一人で戦うのというは、本当は寂しいものだという気持ちが、分かったからだ。
 そして自分は、カイル程のプライドも自分自身のコアとなるものも持ってはいない。
 それは、この世界が自分の世界では無いから……というだけではなくて。
 元の世界でも、こんなだったという自覚はある。
 それなのに自分は、よくもまあ偉そうにカイルに色々と言ってしまったものだ……と、今更ながらそう思う。
 あんな事をいう権利は、自分には無いというのに。

 本当は、その事をちゃんと謝りたい。
 だけど……。
 自分ももしかしたら、大概素直では無いようだ。
 その謝罪の一言は、どうしても出て来なかったのだから。





 どこか美聖の様子がおかしかった。
 その事に、カイルも気が付いていた。
 少なくとも、昨日の戦闘の段階では、いつも通りの美聖で……。
 だから多分その後に、何かあったに違いない。
 だが、その『何か』が分からないのだ。
 自分も当然一緒にいたのだから、どこかおかしければすぐに気が付きそうなものなのに。
「何なんだ? あいつは……」
 休息も兼ねて立ち寄った街を歩きながら、カイルが考えるのは美聖の事ばかりだった。
 別に自分が気にする必要は無いはずだ。
 たかが人間一人の事で……いや、そうでは無いという事は、カイル自身が一番良く分かっている。
 そう、今まで何度と無く戦い、その実力については既に知っていたが。
 昨日の初めての共闘。
 カイルには、美聖の動きが手に取るように分かっていた。
 敵として戦っていた時には、思わぬ攻撃を喰らったりする事も多く、その攻撃パターンを見切る事は難しかったのだが、いざ共に戦ってみるとそんな事は全くない。
 だから、美聖が上手い具合に敵を引きつけている間に、自分がとどめを刺す事が出来たのだ。
 多分、美聖以外が相手だったら、こうは上手くいかなかっただろう。
 それは一体、何故なのだろうか……?
 そんな事を考えていた時だった。
「あれ? カイルさんたちもこの街にいたの?」
 背後から掛けられた声。
 この声には聞き覚えがある。
 声の方へと振り向けば思った通り、そこにいたのは美聖のパーティのフォーウッドの少女と和装の少女であった。
 エプロン姿なところを見れば、どうやら旅資金調達の為のバイトの最中のようであるが。
 街でこうして一緒になった時には、時折見ていたはずのその光景に、妙な違和感を覚えてしまった。
「ん、ああ。ところで……美聖はどうした?」
 そう、いつもカイルが彼女たちのバイトに遭遇する時、その側には美聖がいた。
 全くそういう事をしない自分と違い、美聖はかなりマメな方なのだ。
 それが、今日に限っては何故かいない。
 先程の違和感の原因は多分それだろう。
「ええ……美聖さんはちょっと怪我をしてしまったご様子で……」
「怪我……?」
 和装の少女……若葉の言葉に、カイルは眉を寄せ聞き返した。
「昨日、ボクたち野宿だったんだけどね、水を汲みに行った美聖さんが怪我をして戻ってきて、大した事が無いっていうから大丈夫だと思ったんだけど」
 そんなカイルに細かな説明をしてくれたのは、フォーウッドの少女……キャラットの方である。
「でも、今日起きたら、昨日の怪我よりも酷くなってしまっていて。先程お医者様に見て頂いて、今は楊雲さんと一緒に宿の方でお休みしています」
「美聖さん、あんなに怪我が酷いっていうのに、バイトするって言い張るものだから、楊雲さんに見張っててもらっているんだよ」
 二人の説明を聞き、カイルには思い当たるところがあった。
 そう、それは昨日のあの戦いの後。
 美聖の様子が少しおかしかったので声を掛けたら「何でも無い」という返事があった。
 だから、その言葉のまま、それ以上は聞かなかったし、その後割れた水晶玉の欠片を拾っていた時の美聖にも変化は無かったから、そのまま別れたのであるが。
「……あの馬鹿が!」
 やっぱり怪我してたんじゃねえか! と、その場で怒鳴りたくなるのは必死に何とか耐えた。
 それを言う相手は勿論、彼女達ではないのだから。
 二人に、宿泊している宿の場所を聞くと、苛立ちを隠す事無くカイルは足早にその場所を後にしていた。



「うわあ……カイルさん、かなり怒っていたね、若葉さん」
「きっと、美聖さんの事が心配なんですよ」
「普段は、あんなに意地悪ばかりするのに。でも、やっぱりあれって、美聖さんの事が気になるから、いじめたりしちゃうのかな?」
「そういえば、よく聞きますものね、好きな子の気を引きたいが為に、ついいじめてしまうという話って」
「そんなに美聖さんの事が好きなら、素直になればいいのになあ、カイルさんも」
「きっと、凄く照れ屋さんなのかもしれないですね」
 その場にいた少女二人が、そんなとんでもない会話を交わしていたことなど、勿論カイルは知らない。





「なかなか良くなりませんね」
 美聖の腕へと丁寧に包帯を巻きながら、楊雲が呟くように言った。
「そんなに痛くなかったから、大した怪我じゃないと思ったんだけどな。ごめん楊雲。結局みんなに迷惑掛けてしまって」
 そんな楊雲に済まなさそうにそう言う美聖の声も、いつもの元気さが全く無い声であった。
「いえ、そんな事は……むしろいつもは、私が皆さんに迷惑を掛けていますから」
 人から忌み嫌われている『影の民』である楊雲。
 最近はそれでも、出会った頃よりは自分というものに自信を持って来たかな? とか思ったが、やはり根本的なものはまだ変わりないようである。
「別に迷惑だなんて思ったことは一度もないよ、俺は。むしろ知識が豊富で助かっている位だし」
「そうそう、楊雲以外はそういう点ではみんな、大した事無いものね」
「……お前も含めてな、フィリー」
「な、何よっ! 最初に美聖に色々と教えたの、私でしょ!?」
 そんな美聖とフィリーのやり取りに、微かに楊雲の表情にも笑顔が浮かぶ。
 …………ドドドドド……と、地響きを伴う音が聞こえたのは、その時だった。
「美聖! この馬鹿野郎が!」
 ドアをノックする事もせずに、いきなり入ってきた挙句に開口一番そんな風に怒鳴ったのは、当然ながらカイルであった。
「……あのな、カイル……普通はまずドアをノックしてから……」
「やかましい!」
 美聖の呆れたような言葉も、カイルの怒鳴り声に瞬殺されてしまった。
「ちょ、ちょっと! 一体なんなのよ!」
「かまびすしいチビ妖精は黙ってろ!」
 ……一体どっちが本当に、かまびすしいやら……と、美聖は内心呟くが。
「……ってぇ! 何すんだよカイル!」
 怪我をしていた腕を取られ、思わず苦痛に声を上げる。
「……思った通りだな、この馬鹿が! 昨日の悪霊の持っていた毒気にやられたんだよ! 何故すぐ怪我したと言わなかったんだ!」
 丁寧に巻かれた包帯をカイルが解くと、その下から現れた傷にカイルは一瞬顔を歪ませ、持っていたメモを楊雲とフィリーの前へと差し出した。
「おい、二人でここに書いてあるもの揃えて来い。そうしたら纏めて磨り潰して飲ませれば、体内の毒素は消えるだろうよ」
「ちょっと! その前にどういう事なのか説明してよ」
 いきなり部屋に入ってきた途端にこの騒ぎ、更には買い物まで言いつけられたフィリーが混乱しているのも無理は無い。
「ああ? 説明だ? そんなもんは後でこの馬鹿に聞け、この馬鹿に!」
 そう言いながら、カイルが遠慮なく傷口をバシバシと叩くものだから、美聖の方はたまらないというより、既に痛みで声すら出なかった。
「取り敢えずフィリーさん、カイルさんのいう通りに買い物に行きましょう」
 でないと、カイルが美聖の傷口を容赦なく攻める攻撃が収まらないと察したか、フィリーにそう告げたのは楊雲の方だった。
「そ、そうね……。だけど、私たちが戻ってきて、美聖の具合が悪くなっていたら、承知しないんだから!」
 いつも生意気な事を言っているが、フィリーも美聖には好意を持っている故に、心配しているのだろう。
 そう言い残して、楊雲と共に部屋を後にした。
「承知するもしねえも、悪くなったらそれはこの馬鹿の自業自得だぞ」
「さっきから……聞いてりゃ……人の事馬鹿馬鹿とか平気で言いやがって……!」
 痛みに顔を顰めつつも、それでもやっと反論する気力が美聖にも生じたらしいが。
「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い!」
 バシッと強く傷口を叩かれ、見事に撃沈。
「フン! 最初からそうして大人しくしてりゃいいんだ。そもそもあの時キサマが怪我したと言ってりゃあなあ、こんな酷くなる前に対処出来たんだよ!」
 口調は相変わらずだが、先程の勢いとは打って変わって、ゆっくりとカイルは美聖の腕に触れると、自ら持って来たのだろう小さな容器の蓋を片手で器用に開けて、その中身……どうやら軟膏のようだ……それを傷口に塗り込めていく。
 その軟膏が染みたのか、僅かに美聖は眉を寄せたが、それもほんの僅かの事。
 さっきまで血に塗れて皮膚が爛れていた傷口が、軟膏を塗るごとにその壊死した皮膚が落ちて、すっと綺麗になっていったのには驚いた。
「傷に付着した毒素はこれで落ちただろうよ。あとは、あの娘どもが買ってくる薬草をしっかり飲んでおけ」
「あ……ありがとう……カイル」
「べ、別に礼を言われる覚えは無い! これで昨日の借りは返したぞ!」
 ……素直に礼を述べれば、相変わらずのカイルの様子に、ちょっとだけ安心してしまった。
 何というか……やっぱりこいつはこういうところが良いんだろうなと、美聖はしみじみとそんな事を思う。
 そして、そんなカイルと接している自分も……嫌いではない。
「へえ、昨日のって、ちゃんと借りだと思ってくれていたんだ。俺の働きは2とか言っていたから、お前に貸しを作ったとか思わなかったんだけどな」
「2でも借りは借りだ! もうこれで返したからな。次に会った時には容赦はせんぞ!」
「俺だって、傷を手当してくれた事は感謝するけどな、次の魔宝は俺が貰う」
 一瞬、二人の間に火花が散ったが、それもほんの僅か。
 カイルが「フン……」と吐き捨てると、踵を返して部屋を後にしようとしたからだ。
「あ……カイル……」
「ん? 何だ?」
 ドアのノブに手を掛けたまま、こちらを振り返る事無くカイルが返事をする。
 だから……多分言いやすかったのだろう。
 面と向かってでは言いにくいことだから。
「昨日は……色々ときつい上に変な事を言ってごめん。お前さ……敵としてはとんでもなく迷惑な奴だけどさ……お前のその『魔族』としてのプライドは……嫌いじゃないから」
 美聖の言葉に、驚いたようにカイルは首を巡らせるが。  言った本人は、もう既にベッドの上で頭から布団を被っていて、その表情は伺えない。
「おい……美聖」
「…………」
 カイルの問いかけにも返ってくる言葉はなく。
 ふう……と、カイルは溜息を付き、ドアノブを回す。
 と、その時。
「オレも、オマエが何でも……オレみたいな魔族でも、オマエのとこの影の民の小娘でも、偏見なく全部受け入れるとこは、嫌いじゃねえよ……」
 ぽつりとそう言ったカイルの言葉は、美聖の耳に届いた様で。
 驚いた美聖が、ベッドに身体を起こした時には……既にカイルの姿はそこには無かった。
「カイル……?」
 思いがけない言葉と……そして、穏やかな声だった。
 本当にカイルが言ったのかと思う程に。
 美聖は、先程聞いた言葉を逃さないように、そっと両耳を軽く押さえた。
 まるで、大事な宝物を守るかのように。





 言わなければ相手には通じない。
 そして……言われなければ気が付かない。
 時には傷付けもするが、この世には、こんなに穏やかになる言葉というものもあるのだ。
 だから、その言葉を大切に、自分の裡へと閉まっておこう。
 決して忘れないように。
 

H21.08.13 脱稿