抱き締めたい誰よりも

「……で、ここは一体、何処なんだ?」
 鬱蒼と木の茂った、森の中。
 周囲を見回しても、木肌しか見えない。
「何処……って……知ってて歩いてたんじゃないの? 美聖(みさと)」
「あのなあ、フィリー……何で異世界から来た俺が、道知ってると思う訳だ?」
「だって、どんどん歩くんだもん!」
「お前が何も言わないから、こっちでいいと思ったんだよ!」
 そう……詰まる処……。
「迷子……ですね」
 どうやら、楊雲の言った通りの状態らしい。
「まあ、どうしましょう」
「うん、どうしようか。ボクもこの辺りの森は、良く判らないし……」
 若葉とキャラットが、顔を見合わせ呟くが、この二人ではそう危機感は感じ取れない。
 本当に、限りなくピンチな筈なのだけれど……。
「ふっ……はっはっは、道に迷ったとは情けないぞ、美聖」
 突然、高らかな笑いと共に声がする。
 誰だ! なんて問わなくとも、既に正体は火を見るより明らか……と言うか、こいつしかいないと言うか……。
「……で、そういうお前は、どうしてここにいるんだ? カイル」
「うっ……そ、それは……」
 美聖の問いに、返事に詰まる辺り……。
「お前も、道に迷ってんだろーが!」
 全く……どうしてこういう状況でも、自分を優位に見せようとするのか、この魔族の男は。
「結局、類友ってやつよね」
「ホント、素直じゃないんだから」
「ええい、やかましいっ!」
 リラとカレンの突っ込みに、二人に反論するカイルだったが、
「私もそう思ったんですけど……」
 ティナの言葉が、見事にトドメとなった。
「ともかく、そんな事より、どうするのっ!」
 フィリーの言葉に、現実問題へと戻る。
「フィリー、ひとっ走り飛んで、正しい道を探してきてくれないか?」
「もうこんなに暗くなっちゃったから、道なんて見える訳無いじゃない」
 時間は、とっぷり日暮れ時。
 確かに、フィリーの言う通りだ。
「仕方ない、今夜は……野宿だな」
「誰のせいだと思ってるのよ?」
「はいはい、俺のせいです」
 道案内をしてもらって、現代へと戻るために、魔宝を探していると言う立場上、どう考えても美聖の方が分が悪い。
「それでは、お食事を作らなければなりませんね」
 若葉の言葉に、リトマス試験紙の如く、顔色がくっきりはっきり変化したのは、美聖とフィリーだった。
 何しろ……若葉の作り出す料理の凄さは、この二人が一番身に染みて知っている。
「どうせだったら、これだけ人数いるんですもの。バーベキューにでもしようか。塩漬けのお肉とお魚、それに野菜も揃っているし、一番手っ取り早いんじゃない?」
 一番家事に詳しいはずのカレンの提案に、誰も異存はなく、特にフィリーと美聖にとっては、大いなる救いの船になったようだ。






『昨日の敵は、今日の友』という訳ではないが、元々単にパーティが違うというだけであり、敵対心などない女性陣は、すっかり意気投合して、食事の後の談笑にも花が咲いているようだ。
 そういう賑やかさには、元々縁の無いカイルはともかくとして……。
「どうしたの? 美聖。何か元気ないじゃない」
 フィリーがそう美聖に問うのも、当然の事。
 いつもだったら、何の違和感もなく、会話に入ってこられる(一種の才能かもしれない……そういう状態で女の子と話ができるっていうのは)美聖が、今日に限っては何だか大人しい。
「ん……何でもないよ」
 本当は、何でもなくは無い。
 身体が重い。
 食欲も余り無かったけど、頑張って食べたら……何だか反って胃が痛くなってきた。
「もしかして、お疲れではないんでしょうか? 大丈夫ですか? もうお休みになったほうが……」
「ああ、そうだね。ありがとう、若葉。心配してくれて」
 そう言って優しい笑みを返す美聖に、微かに頬を染めている若葉の様子を、カイルは人の輪の外から眺めていたが……。
 何だか、胸の奥に、むかつきを覚える。
 見ていると苛々してくる。
 だから……
「この程度の旅で疲れるようでは、所詮は魔宝を揃えるなど無理だな、今のうちに諦めたらどうだ?」
 こんな悪態をついてしまった。
 その言葉に、美聖がむきになって突っ掛かってくるだろう事など、承知の上で。
 だが……。
「……俺、もう寝るよ、ちょっと川で、顔洗ってくる」
 見事に拍子抜け。
 確かに、様子がおかしい。
「あーあ、しーらないっと。傷付いたみたいよ、美聖クン」
 カレンが、突き刺さるような一言を飛ばしてきた。
「あ……あの程度で傷付くような奴かっ!」
「落ち込んでるわよね、確実に」
 リラが、更に追い打ちをかける。
「美聖さんが落ち込んでるの、ボクはじめてみた。きっとショックだったんだろうなぁ」
 そして、キャラットが追加攻撃を加え……
「大丈夫でしょうか……美聖さん」
「だいぶ沈んでいましたけれど……弾みで川に落ちたりなさったら……」
「そういえば、美聖さんの気が、かなり弱くなっていましたが……」
 その上、ティナと若葉、楊雲にまでこのような事を言われ、気分は傷口に塩をてんこ盛りにされているようなものである。
「どーしてくれるのよっ! 美聖にもしものことがあったら!」
 トドメの言葉は、フィリーが刺した。
「やかましいっ! 様子を見てくりゃいいんだろ!」
 これ以上騒がれてはたまらない。
 カイルはマントを翻し、川の方へと向かった。
「まあ、あいつが全て悪いんじゃないんだけどね」
 カイルが行った後に、そういうこと言っている、フィリーだった。
 ともかく、確かに美聖の様子がおかしかったのは事実。
「わ、私、ちょっと様子を見て来ますっ!」
 勢い良く立ち上がった若葉だったが……。

 その時……。
うわあああああ〜っ!
 少し、はなれたところから聞こえてきた、悲鳴の二重奏。
「……」
 一瞬、みんな、沈黙してしまった後……
「美聖さんっ!」
「美聖クンッ!」
「ちょっと、美聖っ!」
 ……誰か、カイルの心配もしてやれよ……。





 深い深い穴の中。
「……っつー、痛ってぇーな……」
 一瞬、くらっときた頭を振って、美聖は必死に意識を覚醒させる。
「痛いのはオレの方だっ! 早く人の上からどけ!」
 そう言われて、はっと我に返れば……
「……カイル、何してんだ? お前」
「それが人まで巻き添えにして、こんな所に落っこちた奴の言葉かっ!」
 知らない人がこの光景を見たら、ちょっと怪しいかもしれない。
 カイルの上に、美聖の身体が見事に乗っかっていて……。見ようによっては、かなりやばい感じに取れないこともない。
 事実は、カイルが言った通りである。
 散々女性陣にいぢめられ、美聖の様子を見にきたカイルであったが、その美聖と一緒に、草陰に隠れていて見えなかった穴に、二人して落っこちてしまった。
「ああ……そういえば……落っこちたんだ……って……カイルっ! 大丈夫か?」
「ふん、キサマみたいにやわではないからな」
 ……さっき、痛いって言っていたのは、どこの誰だよ……。
「良かった……」
 ほっとしたのか、幽かに笑みを浮かべる美聖の表情に、何故かカイルは、胸が締めつけられるような感じを覚えていた。
 今まで、一度も感じたことの無い感情。
 カイルの、赤いクリムゾンの光を持つ瞳が、ほんの少しだけ、優しげな輝きになる。
 それは、目の前の美聖でさえ気付かないほど、本当に僅かであったが。

 美聖のせいだ。
 何故か、美聖を見ていると、今までの自分というものが、変わっていくような気がする。
 自分たち魔族に比べれば、人間など下等な存在でしかないのに。
 それなのに……。
 そう、魔宝など無くとも、大魔王復活も、世界征服の野望も、叶わないわけではない。
 モンスター共を操り、人間を襲い……少しずつ、この世界を崩していけば、決して出来ない事ではないはずだ。
 なのに何故、こんな茶番に付き合っている……?
 全ては……そう、こいつのせい。
「カイル……? おい、頭でも打ったのか? ぼーっとして」
「オレがそんな間抜けに見えるか?」
 見えるから、美聖は聞いたのだが……。
「ちょっとー! 美聖クン、ここなのーっ!? ちゃんと生きてるーっ?」
 頭の上の声に、二人は頭上を見た。
 微かに光が見え、人影が伺えるが、それが誰なのかまではちょっと分からない。
「そこにいるのは誰だ?」
「カレンよ。大丈夫なの? 美聖クン」
「何とか、俺もカイルも大丈夫だけれど……」
 そう、取り合えずは。
 問題は、どうやってこの状況を打開するかである。
 とても、這い上がれるような穴ではない。
 周囲はかなり広く、多分伸びている横道に歩いていけば、外に出ることも出来るであろう……が、土地感の無い二人では、出る場所も分からず、そして残りのメンバーも、どこから二人が出てくるのか分からないのだから、ダブル迷子と化す可能性もある。
「とにかく、一晩頑張って。朝になったら、出してあげるから」
 こんな夜更けの救出活動は、かえって危険だと判断した、カレンの賢明な方法である……が。
「これと二人っきりで一晩いろっていうのかっ!」
 珍しく、美聖とカイルの異口同音な意見であった。
「別に、いいじゃない。これが誰か女の子だったら、今すぐ助けてあげるけどね。生命の危険も、貞操の危機もあるわけじゃないでしょ?」
「生命は充分危険だ!」
 実際、もう一つの方もかなりやばいかも知れないが、美聖にはそんな事は分かっていない。
「大丈夫ですよ、美聖さん」
 のんびりとした声が、美聖の言葉に答える。
 このぽやっとした口調は、多分若葉だろう。
「今から毛布、落としますから」
 ……若葉の考えている生命の危険は、美聖が危惧しているものとは十万光年ほど離れているようだった。
 幸い、草がかなりの面積で生えているから、それほど寝心地は悪くはないだろうが。
「ったく……。オマエのせいだぞ、美聖」
「……ごめん」
 ちょっと悪態ついたカイルに、いつもなら反撃の言葉を加えてくるはずの美聖が、何故か素直に謝ったりしている。
  美聖?」
 さすがに、カイルも美聖の異変に、気付いたようだ。
 光の射さない穴の中。
 美聖の顔色が、かなり血の色を失っていることに。
「おい……美聖!」
 カイルが大声で美聖の名を呼んだ時、それを合図にするかのように、美聖の身体はその場に崩れ落ちていった  





 顔色はかなり悪いはずなのに、額だけ火が付いたように熱い。
 熱から来る寒さのためか、身体が震えている。
「冗談抜きで、マジに生命やばいんじゃねーか? こいつは……」
 このまま、何もせずに放っておいたら、状態が悪化するのは明らかである。
 とにかく、暖めてやらなければならないが……。
 手元にあるのは、若葉が本当に文字通り『落として』きた、野宿用の毛布が二枚あるだけだ。
 冷え込む森の中……しかも気温の低い、日の射さない穴の中では、これだけで病人が保つはずがない。
「本当に、世話の焼ける奴だ。これだからひ弱な人間って奴が、オレは嫌いなんだ!」
 文句を言いながら、カイルは纏っていたマントの止め金を外す。
 この状況で美聖を暖めるには、方法は一つしかない。
 人の体温を上昇させるには、それと同じものを与えればいいということ。
「仕方ねえな……後で文句言っても、自分のせいだぞ! 美聖」
 カイルは、意識を失っている美聖の身体を、引き寄せて……そして……。





 ……寒い。
 熱のせいで、体温が上昇しているせいだ。
 しかも、その熱のせいでふらふらしてしまって。
 足下にあった穴にも気が付かないで。
 こんなに深い穴に、はまってしまった。

 マジにやばいかもしれない。
 もう、指一本動かす気力すら、残っていない。
 ……はずだったのに……。

 うっすらと瞼を開いた美聖の視界に映るのは、肌色の壁。
 そこに触れていた頬は、何故か暖かい。
 耳元で、規則正しい鼓動が刻まれている。
 一体、ここにいるのは誰……?

 確か、自分と一緒に、ここに落ちたのは……。
 まさか……。
 そんなはずはない。

 熱のせいか、美聖の思考はかなり混乱していた。

「……目が覚めたか? 美聖」
 頭の上から降ってきた声。
 深くて暗い……聞き慣れた声色。
 だが今は、その声が妙に優しく響く。
 その声の主を確かめようと、美聖は微かに頭を上げた。
 目に映るのは、灰色の髪を持つ、魔族の男の姿。
「カ……イル?」
 何で……?
 いつもは人を怒鳴りつけている声は、限り無く穏やかに聞こえ、
 人を睨みつけてくるクリムゾンの瞳は……。
 切なそうな眼差しを、美聖に向けている。
「まだ熱が高いようだな。朝までには時間がある。もう少し休め」
 そういって、額に触れてくる指も、いつもの鋭さを持ってはいない。
「俺……夢を見ているのか? カイルがこんなに……俺に優しい訳ないもんな……」
 熱が見せた、ほんの一時の夢。
 それなら、全てが納得できる。
 直に触れ合っている肌から伝わってくる、この暖かさも、いつもは冷酷なこの男の持つ優しさも。
「そうだな……。これは夢だ。現実ではない。だから安心して休んでいろ。目が覚めるまではな」
「ああ……。でも……いい夢見てるよな、俺ってば。お前……すごくあったかくて……気持ちいい……」
 美聖は思わず、自分からその身をカイルに擦り寄せてしまう。
 まるで、子猫が心から安らげる母猫に甘えている、そんな仕草で……。

「夢……か」
 そう、本当に夢だったら、どれほど気が楽か。
 だが、熱にうなされ、夢の世界に逃げている美聖と違い、カイルにはこれが現実のものだという認識がある。
 安心して、自分に身を預けてくる美聖。
 全身に感じる、柔らかな素肌の感触。
 美聖に触れているだけで、胸の奥から込み上げてくる感情は、一体何だ……?
 こうしてただ触れているだけではなく、美聖の身体の全てを自分のものとしたい……そんな気持ちは。
 愛情……? まさか。誇り高き魔族であるこの自分が、そんなつまらない感情を持つはずがない。
 もしかすると、自分も夢の中にいるのか……?
 他人を欲する気持ちは、今までの自分ならば持たぬはずだ。
 何故……? どうして、よりによって美聖に、そんな気持ちを抱いてしまった……?
 分からない。分からないからこそ……これは夢だ。
 自分も、得体の知れない熱にうなされている。
 美聖を欲しいという、熱病に。

 だからきっと、これは覚めるはずだ。
 本当に夢ならば……ただの熱ならば……。

 だが今は、しばらく夢の中にいよう。
 美聖の暖かさと共に。

 たとえ夢でも、それが現実になるということ。
 そして、本当の熱ならば、それは体温と同じく、決してさめるものではないということ。
 二つの真実に、カイルは気付いていなかった……。





「ちょっと、どーしたのよ美聖、ぼーっとして」
 どうにか、落っこちた穴の中から助け出され、そして森を抜け、やっとついたちいさな町。
 昨日の疲れを癒すのには、十分すぎる穏やかさ。
 取り合えず、今のところバイトで得た資金がかなりあるため、みんなで休むことにした。
「ん……ああ、何でもないよ、フィリー」
「まだ具合が悪いんじゃないの?」
「いや、もう大丈夫だ。熱も下がったし……」
 途端に美聖の顔が、赤みを増した。
 ……思い出してしまった。
 あのとき……熱にうなされていたときに見た夢を。
 何でだろう……。
 あれが夢ではなく……現実ならば良かったのにと思ってしまうのは。

 自分にはない、力強さを持っている男。
 何よりも、彼は自分自身に自信があるのだろう。
 そんな強さが、自分を引き付ける。
 決して自分では持つことの出来ない、本当の強さに……。

 こんなことを考えてしまう辺り、もしかしたら、まだ自分は何処かおかしいのかもしれない。
 それでも……。

 お互い、相手の本心に気付いていない、擦れ違いの心。
 いつかはそれが、交わることがあるのだろうか?

 とにかく……この旅はまだまだ続く。
 すれ違う心を連れたまま。

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