つぎはぎだらけの感傷


   そのニュースを聞いたのは、本当に単なる偶然だった。
 丁度玉藻が今日の外来診察を終え、入院患者の様子を見ようと診療室を出て、ナースセンターに通り掛った時に、テレビの速報で流れていた銀行強盗のニュース。
 現場が近くという事もあり、それが無事解決したとかしないとか、人質が解放されたばかりだとかで、テレビ画面もそれを見ていたナースセンターの中も、かなり騒然としていたのではあるが、別段興味も無く通り過ぎようとした時である。
 耳に聞こえてきたのは、聞き覚えがある声。
 勿論それは、生の声ではなくて、明らかにテレビのスピーカーを通じて聞こえたものであり、その声に思わず弾かれた様にテレビ画面へと顔を向ければ。
…その声の主は、すぐに画面から姿を消し、ほんの瞬間しか見る事は出来なかったが、自分が見間違い、そして先程の声を聞き間違えるはずも無い。
『一体、何をしているんだ、鵺野先生は!?』
 ほんの僅か時間の画面でしかみられなかったが、それでも画面の向こうでインタビュアーからのマイクを避ける様にして生徒たちと現場から去っていく彼の左足に巻かれていた包帯に、何らかの怪我を負っただろうというのは伺える。
 ならば、もしかしたらこの病院へと来るかも知れないと思いつつ、その考えは、彼が生徒たちと一緒にいたという事に打ち消される事となった。
 テレビから流れるニュース速報の続きからすると、どうやらこの事件の人質になっていたのは彼の生徒であり、だとするならば鵺野は、生徒を守る為にあのような怪我を負ったという事になる。
 ならば、今一緒にいるその生徒達に心配を掛けまいと…彼の性格ならば、まずそれを一番に考えるはずだ。
 ならば、素直に生徒たちを連れて病院になど来るはずは無いだろう。
 ふう…と深い息を付きながらも、玉藻は自分が取ろうとしている行動にも、何故彼を放っておけないのだろうかと些か疑問を感じつつ、それでもその行動を実行へと移すのであった。





「ねえ、ぬ〜べ〜、本当に病院に行かなくても大丈夫なの?やっぱり見て貰った方がいいんじゃない?」
 童守小の宿直室。
 あの銀行強盗の事件の後、何故かここで生徒たちとゲームをやる羽目になり、それでも夜が遅くなるまで遊ばせておく訳にはいかないからと生徒たちに帰宅を促した時に、心配そうな声で郷子がそう尋ねて来た。 「大丈夫たって、明日にはちゃんと回復しているから、授業は休まないからな。ちゃんと宿題やって来るんだぞ」
 と、そんな事を言いつつ生徒たちをちゃんと校門の処まで見送った鵺野であったが。
 いや、もう、実際は痛いなんてモンじゃないというのが、当然の事ながらの実態である。
 いくら、妖怪や霊と戦い、傷を負う事も多いとはいえ、さすがに拳銃で見事に撃たれたのは、今までに経験が無い事で。
 更に、犯人に殴られるは蹴られるはと、散々な目にあっているのだ。
 だけど、そんな事を言ったら絶対に生徒たちも心配するだろう。
 それに…怪我の原因がとにかくまずかった。
 これが、先日の事故みたいに、百円玉を拾おうとした自業自得とか、その時に言い訳に使った様に、本当にいつも通りの妖怪とか悪霊によっての怪我であれば、まだ素直に病院まで行ったかも知れないのだが。
 今回のこの怪我はそういうものではなく、銀行強盗という人間の、ある意味ではとても醜い部分の現れの所為なのである。
 それが原因で怪我を負ったなどという事は、出来れば知られたくないなあと思ったりするものだから。
 そう…少なくとも、童守病院で外科医なんぞしている、あの未だに人間に対して不信感を抱いている部分があるだろう、あの妖狐には特に。
 …だけど、正直なところ、本気でかなりしんどいんですけど〜っ! などと、心の中ではおちゃらけた様に言いつつ、それで痛みを誤魔化そうとか試みたが、所詮は付け焼刃の無駄な抵抗。
 ずきずきと増してくる痛みに、まあ傷は一応簡単な治療はしてあるし、根性で保健室まで行けば痛み止めの一つもあるだろうなあ…と思いつつ、ずるずると痛い足を引き摺りつつ、校内へと戻ったのであるが。
「全く…本当に、一体何をしているんですか、鵺野先生?」
背後から聞こえた、自分を呼ぶ声に、ぴたりとその歩みを止める。
「うわっ! ななな、た、玉藻!?」
 驚きの表情を浮かべ、その背後にいる人物の方へと向きを変えれば、何故か些か不機嫌そうな顔をした、先程まで自分が思い浮かべていた人物…いや、正体は妖狐であるのだから人物という表現は正しくないのかも知れないが、ともかくこうして現在は一応そう呼んでも差し障りはないであろう、その姿を目の当たりにしたゆえに、ついうろたえてしまう。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう? まるで人を化け物の様に…」
「いや、正真正銘、妖怪だろうがお前は…。いや、それはともかく、一体何でお前がここにいるんだ?」
 それは、とっても当たり前な疑問だろう。
 自分のアパートの部屋ならともかく、仮にもここは校内で自分は現在宿直室に転がり込んでいて…。
「鵺野先生の事だから、あの状況では1人で部屋に帰らないで、暫くは生徒たちとここにいるだろう事位は、容易に想像が付きますよ」
 自分の問いかけに、先程からの不機嫌そうな表情を益々色濃くし、憮然とそう言う玉藻の様子に、思わず首を傾げる。
「あの状況って…何で、お前がそんな事を知ってるんだ?」
 多分、玉藻が言っているのは、件の銀行強盗の一件であろうが…。
「テレビ映り、なかなか良かったですよ、鵺野先生」
 端的にそう述べると、玉藻はひょいとまるで小荷物でも扱うように軽々と、鵺野の身体をまるで米俵を肩に担ぐが如く持ち上げた。
「あ、そういう訳…って、おいっ! いきなり何するんだよ、下ろせって」
 突然の行動に、しかもいくら中身が妖狐だとはいえ、外見上は自分よりも少し背の高い相手に軽々と扱われた事には、さすがに動揺の色は隠せずに慌ててしまう。
「その怪我で歩けるようでしたらご自由に」
さらりとそんな憎たらしい事を言い放ちながらも、玉藻は鵺野の身体を下ろす様子など全く無い様子で、自分の言葉に足の怪我の事を思い出したのか、暴れもがく動きをぴたりと止めた鵺野の身体を抱えたまま、すたすたと保健室の方へと足を向ける。





「やれやれ…銃で撃たれたというのに、医者にも診せないなんて愚の骨頂ですね」
 しん…と静まり返った…いや、現在は既に夜の帳も下りた時間なのだから当たり前なのだが、そんな保健室の中で聞こえる声は、何故かいつもと違う感じがするのは気のせいだろうか?
言っている事は本当に憎たらしい事なのだが、まあそう言われても仕方が無いだろう事をしてしまったのは確かで。
 さすがは外科医だけあって、手馴れた動きで傷の手当をしている玉藻の動きを、言われた真っ当な言葉に返す言葉も無く、ただ無言で鵺野はベッドに腰を下ろし、自分の前に置かれた椅子へと手当てをされている足を置いた姿勢のまま、見下ろすように眺めていた。
「幸い弾が貫通していたから良かったものの、これが途中で止まっていたらとんでもない状態になっていましたよ」
 手当てを終え、綺麗に巻かれた包帯、そしてその上からわざと、まるで痛みを与える様に玉藻は軽く叩く。
「…ってえ! お前なーっ! 怪我の上から叩くな、全く…」
 ぶつぶつ文句を言いつつ軽く睨みつけてやれば、手当てに使った機材を片付けたながら、玉藻は先程同様に不機嫌な表情を鵺野の方へと向けてきた。
「痛いという事は、真っ当に神経が通っている証拠ですよ、良かったじゃないですか、鵺野先生」
「…何さっきから、そんなに怒ってんだよお前…。今日は変だぞ?」
 いや、玉藻が機嫌よく現れたら、それはそれでおかしいかも知れないが、それでもここまで機嫌の悪さを表に出してきた事など余り思い当たらず、軽く混乱してしまう。
「あなたが余りにも馬鹿な怪我なんてするからですよ。大体、いくら一緒にいた生徒達に心配を掛けまいとしたからといっても、余り意地を張るものじゃない。何故すぐに来なかったんですか?」
 多分、来なかったという言葉は、自分の処へという言葉に繋がるんだろうなと思いながら、それでも、言うべきか言わざるべきかという思いが、その返答を躊躇わせ、少しばかりうーん…と呻ってしまう。
 確かに生徒達に心配掛けたくないという思いも強かったが、それ以前に…。
「人間の醜い部分でした怪我を見られたくなかったからなんだろうなあ…多分」
 先程玉藻が来る前に考えていたその心裡。
 無意識のうちに、それが声となって出ていたことに、鵺野は全く気が付いていない。
「…鵺野先生…?」
 僅かに玉藻の耳に届いたその言葉。
 その言葉の意味を確認するかの様に、玉藻が問いかける様に、鵺野の名を呼ぶ。
「…って…もしかして俺、今なんか言った…か?」
 その時になって、初めて鵺野は自分が心の中の言葉をそのまま口にしていた事に気が付き、仕方が無いなあと観念して溜息を付く。
「だから、まだ人間の事がそこまで好きじゃないだろ? お前は。そんな奴に余りさ、こういう怪我見せて益々人間嫌いに拍車掛けたくないなって、そんな事考えちまったんだよ、俺は」
 言い終えると、まるで恥ずかしい事でもいったかのように鵺野は、ふいと顔を背けて玉藻から視線を外す。
 一方、そんな事を言われてしまった方は…。
 思いがけない言葉に、一瞬唖然と驚きの表情を浮かべ、次の瞬間思わず、ぷっと吹き出し笑いをしてしまった。
 その表情には、先程までの不機嫌さは影も形も無く…。
「何笑ってんだよ…どうせ、馬鹿な事を考えたものだとか位に思ってるんだろうけどな」
「ええ、…本当に馬鹿ですよ、あなたは。そんな下らない理由で…」
 確かに、自分はまだ人間の事が好きになれた訳ではない。
 人間の持つ愛の力を学ぼうとしながらも、どこかでそれを否定したくなる事もある。
 だけど…そう思うと必ず、この男はそんな自分の気持ちを修正してくる行動を取るのだ。それも自分の身を持って。
「本当に…馬鹿ですよ、鵺野先生」
 そう言いながら、玉藻は身をかがめると、ベッドの縁に腰を下ろしたままの鵺野の身体をゆっくりと抱きしめた。
「…お、おい…?」
 何故、そんな事をしたのか…玉藻自身、全く自分でもそれが分からない。
 そして、こんな行動を取りながら生じてくる、この妙に落ち着くようなそんな心情…それが一体何なのか、それすらも分からない。
 ただ、こうしたかった。そして、今はこうしていたかった。
 そんな、本人も分からないままの玉藻の行動に驚きながらも、何も言わずに鵺野はただ、ぽんぽんとまるで宥める様に、その背を叩き撫でるのであった。
 まるで、まだ感情というものが芽生えたばかりで、それに戸惑う子供を宥めるかの様な、そんな仕草で。

H18.11.15(水) 脱稿