夢…そう、これは多分、自分が見ている夢だ。
闇の中、足元にあるは数多くの亡骸。
それは…今まで自分が駒として打ち捨てた者たちではなかろうか…?
そんな中、ただ一人その場に元就は立っている。
これが夢であろうという感覚はある。
だがそれは…いずれ自分が墜ちるであろう、黄泉の世界だ。
亡骸の間を縫うように足を進めながら元就は、漠然とそう思った。
そして、果たして自分はどこに歩いているのか…どこへと行こうとしているのか。
それすらも分からず、ただひたすら歩みを進める。
この黄泉の先にあるは一体何なのか…?
それすらも分からないまま。
ぐっ…と、突然手を誰かに掴まれる。
思いかけない事が起こった為か、元就の身体はびくりと震えた。
一体自分の手を掴むのは誰だ…?
掴まれた手を辿り、その相手を伺おうとするも、闇の中ではその姿は伺う事が出来ない。
「そっちじゃないだろう?毛利。お前が行くのはそっちじゃない、こっちだろ」
どこかで聞き覚えのある声。
それすらも、この闇の中では上手く耳に届かず、誰のものなのか判別する事も出来ない。
そして…掴まれた手を思い切り引っ張られる。
自分の歩く速度よりも、僅かに速いその相手の動きに、思わず小走りになってしまう。
しっかりと繋がれたその手は離される事はなく、そのまま暫し歩いた後。
目の前に見える光。
そう、それはまるで日輪の輝きにも似て…。
その光に浮かぶ、自分の手を掴んでいた相手の姿は…。
元就が眼を覚ますのは、いつもそこだった。
何度も繰り返し、最近見るようになった夢。
それは、今日も変わる事がなく。
いや…違うのは、その夢を見たのが、まだ日の高い現在であるという事だ。
いつもは宵に見るそれを、昼間の最中に見ようとは。
そんな元就の視界に映るのは、天井の木目。
そう…不覚にも体調を崩し、薬師より暫しの期間の安静を言われてしまった身であれば、それは仕方が無い事であるが。
発熱の所為か、それとも先程の夢の余波が残っているのか、身体が非常に重く感じる。
喉が渇きを訴え、枕元に置かれた水差しを取ろうとするも、それすらも出来ず、僅かに伸ばした腕はそこまで辿り着かずに床の上へとぱたりと落ちる。
仕方がなく溜息を付くと、そのまま床の中で眼を静かに閉じた。
またあの夢を見るのか…と、ふと、そんな事を思いながらも、熱が運んでくる睡魔が容赦なく、その夢の世界へと自分を誘っていく。
しかし…あれは一体誰なのだろうか…?
いつも、自分の手を引く人物を確認しようとすると、その時点で目が覚める為に、元就にはそれが未だに誰なのかが分からない。
だが、深い意識の底では…分かっているのかも知れないと思う。
目を覚ました自分が、それを覚えていないだけで。
何故ならば、自分の細い手を包み込むほどの、その大きな手の持ち主と…その人物の存在に自分が感じるのは、何故か心地の良い安堵であり、決して不快なものではないから。
眠りに落ちる少し前に、何やらざわめきを感じ取った。
何かがあったのだろうか?しかし、それを確認する事も出来ない。
もしもこれが火急の件であれば、構わず自分の元へと来るようにと家臣には伝えてあるが…尤もこの状態では、果たしてどうなるかという事も分からないが…それでも、そんな気配は感じられないところを見ると、大した事ではないであろう。
…にしても、やはり賑やかな声が聞こえ…。
そんな事を思った後には、既に元就の意識は、闇の中にあった。
そして…夢は繰り返される。
闇の中、歩く自分…そして掴まれる腕。
いつもと同じく、引っ張られるように連れ出された光の中で眼を覚まし…。
…それでも、先程とは違う現実がそこにはあった。
「お、目ぇ覚ましたか? 毛利」
何故かそこには…見覚えのある、だけど何故今ここにいるのか分からない相手がいたからで。
「熱出したんだって? 全く色々頑張りすぎるからだ。あんま無理するなって」
熱の具合を見る為だろうか、自分の額へと運ばれるその大きな手の動きをゆっくりと目で追ってから。
「何故…そなたがここにいるのだ? 長曾我部」
熱の所為で僅かに掠れた声、それでもいつもの切れを保って、枕元にどっかりと座している男…長曾我部元親にそう問いかけた。
少なくとも、自分がこんな状態で寝込むこととなった昨日までに、元親が中国へと来るという様な先触れは来てはいない。
尤も、何度言っても先触れを寄越さず突然訪れる事が多いから、始末に終えないのであるが、それは今日に限っては閑話だろう。
「そりゃ、毛利に会いに来たに決まってるだろうがよ、しかし寝込んでいるとは思わなかったけどよ…」
「少し疲れが出ただけだ、大事無い」
額に置かれた手が、冷たく心地いい。
まるで、自分の余分な熱を全て吸い取ってしまうような、そんな感じで。
「お前、いっつも一人で頑張りすぎてるからな、たまにはこういうのもいいんじゃねえか?」
元就の前髪をさらりと撫でると、元親の手が額から離れていく。
その時に先程感じた喉の渇きをまた思い返したか、元就は軽く身体を起こし、水差しを取ろうとする。
そして水差しが指先に触れた時…。
身体を起こした自分の背を支える力強い腕か、そこにはあった。
腕に背を支えられたまま、水差しの中身を傍らの器へと移すと、口元へと運び、水で喉を湿らせていく。
「ほら、もうちっと休んどけ。ああ、そうだ。来た時にお前が好きそうな水菓子買ってきたんだよ。今井戸で冷やしてるから、目が覚めたら食えるだろうよ」
まるで風邪を引いた幼子に言い聞かせるみたいな口調と、頭を撫でるようにぽんと軽く叩く元親の行動に、少しだけむっとした元就は「子供扱いするでない」と僅かに機嫌を損ねた口調で言い、頭に置かれた手を軽く払いのけると、再び床へと横になった。
「そんだけ元気がありゃあ、大丈夫だろうよ…あんま心配掛けるな」
くくくっと喉奥で笑いつつ、それでも…語尾は余りにも真剣な口調で。
本当に心の底から、元親が自分の事を案じてくれているのが、元就にも分かる。
だから…手を伸ばして、再び前髪へと触れていた元親の手に自分のそれを重ねて軽く握り締める。
普段は素直になれない自分だが、こういう時ぐらいは、少しだけ…そうほんの少しだけだが、自分にこんな甘えを許してしまってもいいのかも知れない。
そして…元親の手を握り込んだ時に…元就は気が付いた。
夢の中でいつも自分の手を掴み、闇から日輪の光へといざなっていたあの手は…。
間違いなく、この手と同じ感触と暖かさだ。
「そうか…あれは…貴様だった…のか…長曾我部…」
安堵したのと同時に、再び元就の意識は眠りの淵へと落ちて行った。
先程の言葉には意味が分からず、怪訝そうにしていた元親も、元就の心地良さそうな、安らかなその寝顔に僅かにほっとしたような笑みを浮かべ、握りこまれたその手を、もう一方の手で包むように握り締めたのであった。
この手がある限り…また見たとしても、もうあの夢は怖いものではない…。
いつでも、この手が自分を誘ってくれるのだから…。
H19.9.8 脱稿
H24.5.6 改稿
長曾我部×毛利アンソロジー『彩恋つづり〜情緒編〜』に掲載させていただきました作品です