良薬は口に甘し…?


 寝所の寝具の上に半身を起こしたまま、元親はとてもいたたまれない気分になっていた。
 寝具の傍らには、きちんと正座をして背筋をぴんと伸ばし、呆れたような…そして僅かに怒気に近いものを含んだ表情で、自分の方へと目線を向けている元就がいる。
 元就に会うのは本当に久し振りで…そもそも元親としては、元就はずっと一緒にいたいと思うほどの、愛しい存在だから、当然のことながら元就と会えたという事自体は嬉しい事ではあるが…。
 しかし、いかんせん情況がとても悪すぎた。

 とはいえ、そもそもは元親の自業自得であったから、それは仕方が無い事。

「全く…普段より馬鹿だ馬鹿だとは思ってはいたが、これ程までの馬鹿者だったとはな」
 全く容赦も労わりもなく、その氷の表情と同じく、とてもきつく厳しい元就の言葉が、元親の方へと刃の如く降り注ぐ。
「あのなあ…一応これでも俺は怪我人だったんだぜ、もうちいっとばかり優しくしてくれても、罰は当たらないと思うんだけどな」
「何を言うか、そなたの怪我など、正に自業自得であろうが」
 思わず不服を告げる元親の言葉は、それこそまるで元就の獲物である輪刀を一振りするが如くに、ばっさりと斬り捨てられた。



 同じ瀬戸内を挟んでの領地、互いに手を結んだほうが得策と、休戦協定が結ばれてより、当然の事ながら色々な諸事関係もあり、お互い文のやり取りや互いの領土に来訪する事が多くなった。
 それでなくとも、元親は何の用事もなく、更には先触れすら寄越さずに、ふらりと中国の地へとただ『元就に会いたいから』という理由で、結構こまめにやって来る事が多かった。
 その度に元親は「国主がそのように頻繁に国元を離れるな」と、元就の小言をくらっていたが。
 それが暫しの期間、ぴたりと止んでいた。
 そう、さすがに元就が何かあったのでは無いかと訝しんで…。
 そして…自ら四国へと渡ろうと思う程。

 それから暫くの後に…現在のこの状況に至ったという訳だ。

 怪我の理由は自業自得…。
 確かに、元就にそう一刀両断されても、元親は反論する事が出来ない。
 新型の重機の製作をしていた時に、そこに仕掛ける火薬の量の見積もりを間違えたのは、明らかに自分の失態だ。
 むしろ、一歩間違えればとんでもない大惨事となりかねなかったその情況を作り出してしまった、自分の失態を恥じるしかない。
 自分がこの程度の…とはいえ、もう数週間は怪我の治癒具合が思わしくなく、床が上げられない状態ではあったが、それもあと数日の事で…ともあれ、他に誰も大きな怪我を負う事もなく、損害も無く、この位の被害で済んだのは、まさに不幸中の幸いといっても過言では無いであろう。
 それゆえに、現在この情況を知られてしまい、いや別に隠していた訳ではないが…ただ単にあくまで国内のこのような事まで知らせる必要も無く、更に自分が身動きの取れない怪我人の状態であるこの状態を、余り元就には知られたくはなかったというのもまた事実で。  それが全て露見してしまった現在、元親はただもう頭を下げて、ひたすらいたたまれない心地を味わう事となってしまったとて、間違いなくそれは自分が一番悪い。
 惚れた相手に、自らの失態を知られるというのは、さすがにこう情けないというか…そんな心地を味わうという事を、元親はしみじみと悟っていた。



 床へと横たわっていた元親の姿を見た時。
 元就は一瞬、自分の心臓が止まってしまうかと思った。
 そして、その理由を聞いてみれば、ただもう呆れるしかなく…。
 だが、自分の気持ちがそれだけでは治まらないと、元就も既に自覚はしていた。
 本当に…驚いたとしか言い表す事が出来ない。
 自分がここへと通された時、元親は眠っているようだった。
 寝姿など既に見慣れているものだが、さすがに怪我をして横たわる姿など…この強靭な男のそのような姿は初めて見た。
 そして、自分がまずした事は、起こさないようにとそっと手を伸ばし、その怪我人がちゃんと生きているのかを確認する事だった。
 触れる指先から体温が伝わり、寝息が手を擽り。
 …その瞬間ほっとした。
 その時に、自分が何故この国までわざわざ来たのか。
 その理由が、床に横たわっていた姿に心臓を停止させるほどの思いを抱き…。
 そして今、この怪我人の生を感じ取ってほっとしたのか…その理由を自覚した。
 そう…自分は、この男の事を心配していた。
 何かあったのでは無いかと…それが気掛かりだったと。
 しかし…。
「ん…あ? もうり…か?何で、お前がここにいるんだ…?」
 その閉じた目が開かれ、隻眼のその蒼い眼が自分の姿を認めたのか、寝ぼけた感じの口調でそうのほほんと言う声を聞いた瞬間に。
 元就の脳裏で、ぷちっと何かが切れた音が聞こえた。
 多分それは、人の気も知らず暢気にそんな事を言う元親に対しての堪忍袋の尾に近いものが切れたに違いない。
 だから、あとはもう、ひたすら小言しかこの口からは出て来なかった。



「いや、だから、怪我っつーても、大した事無かったしな、この程度の事でわざわざ知らせるまでもねえと思ったんだよ」
 ふう…と溜息交じりの息を吐きつつ、元親はそう言い、寝具の傍らで未だ顰め面をしたままの元就の方へと手を伸ばす。
「もしかして、心配かけちまったか?」
「別に、貴様の心配などしておらぬ!」
 元親の言葉に間伐入れずに返ってくるのは、いつもの元就の憎まれ口。
 だけど…多分、本人は気が付いていないだろう。
 いつもそういう言葉を言う時に、元就の耳元がほんの僅かだが、ほんのりと赤くなる事がある。
 それは、元就が本心からそういう事を言っていない時だと、元親が気が付いたのはいつの事だったか。
 そして、今もそうだ。
 心配などしていないと言いながら、耳元を僅かに染め上げている。
 元々色の白い元就が相手だから、元親はそんなちょっとした変化でも見極める事が出来た。
 そんな様子が、とても何というか…可愛らしくて好ましい…などと言ったら、確実に元就の機嫌を損ねるだろうから言わないけれど。
 それでもやはり、顔が綻んでしまう。
 だが、そんな元親の表情は、次の元就の言葉に固まる事となった。
「それよりも…貴様、怪我をしてからも一切薬種の類を飲まぬと、配下の者が嘆いておったが…?」
 気が付けば元就の目線は、枕元にある水差しとその横に置いてあった薬包紙へと移っている。
「うっ…、いや、それはその…」
 それは、元親としては突っ込まれたくない事で、一体そんな事までばらしたのは誰だ?と、思わずにはいられない。
 だが…刺す様なきつい元就の視線が自分の方へと向けられ、さすがにそれには観念するしかない。
「…死ぬほど苦いんだよ、その丸薬」
「苦いから飲まぬとは、貴様は子供か!」
 その理由に呆れたらいいやら怒ったらいいやら…。
 本当に、元親の事を心配していた自分が、馬鹿馬鹿しくなってしまい、自然と声も荒いものとなってしまう。
「そもそも薬なのだから、苦くても当然であろうが!」
「だから、飲みたくないって言ってんだって!」
 もうこうなると、元親の方も完全に逆切れ状態である。
 暫しの間、そのまま「飲め!」「嫌だ!」の応酬が続き…。
 呆れたように、元就が息をついた事で、うっかりと元親は元就が諦めたものだと油断してしまっていた。
 だから…その傍らの薬包紙を元就が手に取り、水差しの水を側にあった器へと移し、その水と薬包紙の中の丸薬を自らの口へと入れる行動を、ぼんやりと眺めてしまった。
 薬の苦さからか、元就の表情が一瞬歪むが、そのまま腕を伸ばすと元親の寝着の襟元を掴み、自分の方へと引き寄せると…。
 そのまま重なった唇の感触。
 そして、僅かに開かれた口元から移されるのは…。
「に…にっが…っ!」
 唇が離れた瞬間に呻く様な声でそう言うと、元親は口元を押さえる。
 既に喉を通り過ぎて流し込まれたそれは、とんでもなくやはり苦くて。
「も…うり、てめえ!」
 口直しをするように、水差しから映した水をゆったりと飲んでいる元就に向かって、思わず声を張り上げてしまったとて無理の無い事。
 勿論、元親が喚こうが元就にはどこ吹く風のようであるが。
 …怪我の事を隠して自分に心配を掛け、この国まで来させた事に対しての、ほんの仕返しのつもりだったなどという事は、元親には絶対に言わない。
「ふん、貴様が子供のような我が侭を言っておるのが一番悪いのではないか」
 そんな憎まれ口を叩く元就が、器を盆の上へと戻した時…。
 その細い手首を元親は掴み、ぐいっと自分の方へと引き寄せる。
「…っ! 何を…っ!」
 そのまま自分が寝ていた寝具へと元就を組み敷き、上から見下ろすと元親は口端を上げて笑みを浮かべ。
「苦い薬を飲んじまったからな、口直しが欲しいんだけどよ?」
 そんな事を言いながら、顔を近づけてくる。
「全く…本当にそなたは、まだまだ子供よ」
 そんな元親の言い分に少しだけ呆れながらも、これ位元気ならばもう大丈夫なのであろうと、元就は微かに笑い声を零し、元親の背にゆっくりと自らの腕を回していった…。


H19.8.16 脱稿